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大阪地方裁判所堺支部 昭和58年(わ)81号 判決

主文

被告人有限会社D及び同株式会社Fを、いずれも、罰金三〇万円に、同株式会社Kを罰金二〇万円に処する。

被告人甲及び同丙を、いずれも、懲役三月に、同乙を懲役四月に処する。

この裁判確定の日から、被告人甲及び同丙については各一年間、同乙については二年間、右各刑の執行を猶予する。

理由

目次

(罪となるべき事実)

(証拠の標目)

(右認定の理由)

第一  被告人甲の犯意について

第二  ドンキーコング・ジュニアの基板について任天堂との間で製造許諾契約が存在した旨の被告人有限会社Dと同甲の主張について

第三  被告人乙と同丙との共同正犯性について

第四  著作権について

一  本件ロムに収納された著作物

(一) 映画の著作物について

(二) プログラムの著作物及び罪刑法定主義との関係について

二  ドンキーコング・ジュニアのソフトウエア・プログラムの著作権の帰属について

(一) ドンキーコングのソフトウエア・プログラムとドンキーコング・ジュニアのソフトウエア・プログラムとの関係について

(二) ドンキーコングのソフトウエア・プログラムの著作権の帰属について

(三) ドンキーコング・ジュニアのソフトウエア・プログラムの著作権の帰属について

三  ドンキーコング・ジュニアの映画の著作権の帰属について

第五  本件告訴について

一  本件告訴の客観的範囲

二  本件告訴の効力

(法令の適用)

(情状)

一  被告人甲について

二  被告人乙及び同丙について

(罪となるべき事実)

第一  被告人有限会社D(代表取締役甲)はゲーム機械の製造販売を目的とする会社、同甲は同会社の代表取締役であるが、同甲は丁と共謀の上、被告人有限会社Dの業務に関し、法定の除外事由がないのに、任天堂株式会社(以下任天堂という)が映像と音声とについて著作権を有するテレビゲーム機ドンキーコング・ジュニアのコンピューターシステム(基板)の記憶装置に収納された同ゲーム機のソフトウエア・プログラムを複製し、その基板を製造して販売しようと企て、昭和五七年八月一八日頃から同年一一月二七日頃までの間、神奈川県川崎市川崎区〈住所略〉株式会社○○産業所など三箇所において、右ゲーム機の複製基板六八八六台位を製造した上、同年八月一八日頃から同年一二月二九日頃までの間、前後一五一回にわたり、大阪市北区〈住所略〉××商事株式会社など一九箇所において同社など一九名に対し、右基板六八七一台を合計四億五六二五万八〇〇〇円で販売し、

第二  被告人株式会社F(代表取締役乙)は娯楽機器の製造販売を目的とする会社、被告人株式会社K(代表取締役丙)は娯楽機器の売買を目的とする会社、被告人乙は被告人株式会社Fの代表取締役及び被告人株式会社Kの取締役、被告人丙は被告人株式会社Kの代表取締役及び被告人株式会社Fの取締役であるが、被告人乙及び丙は共謀の上、それぞれ、被告人乙は被告人株式会社Fの、被告人丙は被告人株式会社Kの各業務に関し、法定の除外事由がないのに、任天堂が映像と音声について著作権を有するテレビゲーム機ドンキーコング・ジュニアのコンピューターシステム(基板)の記憶装置に収納された同ゲーム機のソフトウエア・プログラムを複製し、その基板を製造して販売しようと企て、同年八月二五日頃から同年一一月九日頃までの間、東京都東久留米市〈住所略〉△△電子株式会社など三箇所において、右ゲーム機の複製基板五〇五七台を製造した上、同年八月二五日頃から同年一二月二三日頃までの間、前後三二五回にわたり、前記××商事株式会社など五九箇所において同社など五九名に対し、右基板五〇五一台を合計三億〇六八二万二〇〇〇円で販売し、

もって何れも任天堂の右著作権を侵害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(右認定の理由)

第一ないし第三〈省略〉

第四 著作権について

本件公訴事実は、被告人有限会社D及び甲については、同甲は同被告人会社の代表取締役として同被告人会社の業務のため丁と共謀し、昭和五七年八月一八日頃から同年一一月二七日頃の間、同株式会社F、同株式会社Kについてはそれぞれの代表取締役である同乙及び同丙が各々の右被告人会社の業務のため共謀の上、同年八月二五日頃から同年一一月頃の間、任天堂が著作権を有するテレビゲーム・ドンキーコング・ジュニアのロムに収納されたソフトウエア・プログラムを無断複製し、もって任天堂の著作権を侵害したというものであるから、初めに、右ロムの内容の無断複製によって侵害される著作権とは何かを検討しなければならない。

これについて被告人株式会社F及び同乙は、本件公訴事実はソフトウエア・プログラムの無断複製のみにかかるものであると主張するが、各公訴事実にソフトウエア・プログラムの無断複製というのは、被告人らの行為の態様を特定した表現であって、これによって侵害された著作権をソフトウエア・プログラムに限定する趣旨でないこと、及び右侵害の対象として主張されているものはテレビゲーム・ドンキーコング・ジュニアのロムに収納されている著作権であって、具体的には、ディスプレー上の映像を中心とする映画の著作物と右ソフトウエア・プログラムという著作物に対応する各著作権であるとすることは、第二〇回公判期日における釈明によって更に明らかとされたところである。

一  本件ロムに収納された著作物

本件テレビゲーム機ドンキーコング・ジュニアのアトラクトモード、遊技者によるコインの投入からゲームの終了に至る間の視覚部分の内容を記載した昭和五八年三月一六日付け司法警察職員作成の捜査報告書謄本並びに鑑定人出原栄一作成の鑑定書によれば、右ロムに収納された著作物は、これを二つに分かつのが相当であって、その一は、ディスプレーにおける映像を中心とした連続的動画面の視覚的部分とこれに付随した効果音その他の聴覚的部分とで構成され、且つロムの中に電気信号として取り出せる形で収納されることによって固定されている視聴覚の著作物(映画の著作物)であり、その二は右ディスプレー表示を制御する解法に関する論理的思考についてのソフトウエア・プログラムの著作物である。

(一)  映画の著作物について

即ち、先ず前者(映画の著作物)に関していえば、テレビゲーム・ドンキーコング・ジュニアは、大要、別紙(一)のごとき視覚的部分がテレビゲーム機のブラウン管上に表示せられ、客待ちの間、同一のシーケンスをもって繰り返され、遊技者のコイン投入によって中断されるデモンストレーションの部分と、遊技者のレバー操作により、予めソフトウエア・プログラムによって設定されたところに応じて限定的に変化する映像並びにこれも右ソフトウエア・プログラムから抽出されるデータに従って、右映像の変化に付随して適時に変化する効果音とから構成されるものであって、仮にこの聴覚的部分を除外して考察しても、それは思想又は感情を映像の連続によって表現した著作物と解することができる。

(二)  プログラムの著作物及び罪刑法定主義との関係について

被告人らは、ロムに収納されたプログラムは、本件について適用のあるべき昭和六〇年法律第六二号による改正前の著作権法に規定する著作物に該当しないと主張するものであるが、ソフトウエア・プログラムは、例えばそれが制作上の種々の段階において製作者の個性ないし形態形成上のいわゆる自由度の存在を全くないしは殆ど許容しないが如きものであって、問題の解析から論理設計手法の選択、プログラム言語の選択その他の制作の各過程において、個性の介在を認めしめないようなものを例外として除外すれば、その余のものは、これを原則として、右改正前の著作権法(昭和四五年法律第四八号)二条一項一号にいう「思想を創作的に表現したものであって、学術の範囲に属するもの」として著作物に該当すると解すべきである。

被告人株式会社F及び同乙は、右改正前の著作権法においてプログラムの著作物性は制定法的にみて明らかではなく、本件が行われた昭和五七年当時は、学説法、判例法及び実務法上も、その著作物性は確定したものではなかった。かかるものにつき、その著作物性を前提としてなされた本件公訴の提起は罪刑法定主義に反する旨主張する。

確かにソフトウエア・プログラムの著作物性は、右改正後の著作権法においてプログラムが初めて著作物と例示規定に明記され、これに関連してプログラムの定義規定が設けられるまでは、制定法的にみて必ずしも明らかであったとはいえず、制定法の周辺に存する不文法的要素についてみても、例えば、行政庁による予備的検討は比較的早期からなされてきたものの、本件当時、その法的処遇について統一した見解を得ていたものとはいえず、又プログラムの著作物性を肯定する民事上の裁判所が存在するに至ったのも本件以後であり、学説上もプログラムの著作物性については論議が存したところであって、これらの点からすれば、右被告人らのいうように、その当時、プログラムが著作権法上の権利侵害罪の対象とされるものかどうかには、必ずしも明確でなかったところが存する。

しかしかかる不明確性は、ソフトウエア・プログラムという形態の財産的価値が遅れて社会的に形成されたことによってもたらされた状態であって、本件についていえば、他人の開発したプログラムを無断で複製することが社会倫理に反して許されないものであることは、疑われたことがないといわなければならない。又右改正前の著作権法についてみても、プログラムをもって「いくつかの命令の組み合わせ方にプログラムの作成者の学術的思想が表現され、かつ、その組み合わせ方及び組み合わせの表現はプログラムの作成者にとって個性的な相違があるので、プログラムは法第二条第一項第一号にいう『思想を創作的に表現したものであって、学術の範囲に属するもの』として著作物でありうる」(著作権審議会第二小委員会作成の昭和四八年六月報告書一一頁)と解することには合理性が存し、かかる解釈に従うことを求められることは、通常の知性の一般人にとって予想可能であったといわなければならない。

尚右改正前の著作権法一〇条一項は、著作物に関する定義規定である右二条一項一号の例示規定であって、「著作物を例示すると、おおむね次のとおりである」と規定するものであるところ、鑑定人中山信弘他一名作成の鑑定書には、右規定によるとその適用範囲が曖昧であり、何が著作物に該当するか明確であるとはいえず、犯罪の構成要件としては不明確であるが、プログラムのように同項に例示されていないものであっても、例示されているものと仮に同質なものであれば、その侵害について刑事罰を科することは罪刑法定主義に反するものではない旨の指摘が存する。これによるも、そこに例示されている従来からの著作物とプログラムという新たに形成されたものとの間の性質上の差異は、右被告人らも指摘するように、例示物相互間の差異よりも大きいものがあると解せられるから、右鑑定書にいう同質性は、通常の判断能力を有する国民にとって、むしろ理解困難なものがあるといわなければならないであろう。即ち、機械語、アセンブリ言語ないしコンバイラ言語などの表現手段の別を問わず、プログラム言語をもって構成されるプログラムを、右例示規定のなかでこれに最も近似する小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物と対比したときに、これらとの間に同質性が存することを右の法文のみから、類推解釈の危険を冒すことなく、読み取るには困難が存するところである。しかし、右の例示規定が著作物を限定的に列挙したものでないことは明らかであるところ、前述した著作物の定義規定には、これがプログラム表現を包含すると解してもなお、それを悉意的、差別的な法執行をもたらすものと非難することができない程の具体性が存したものと解することができる。

そうすると、前記法的状態の不明確性をもって恰も刑罰法規の不明確と同様に解することが正当でないことは明らかであって、少なくとも他人の開発にかかるプログラムを無断で複製する行為に関しては、プログラムをもって右改正前の著作権法の権利侵害罪の対象である著作物と解しても、これによって法的安定を危険に陥れ、罪刑法定主義を否定するものと解することはできない。

右のように、プログラムが著作物であるためには創作性を有するものでなければならないので、検察官はオブジェクトプログラムからそれを構成するモジュール或はルーティン・サブルーティンの如き最小単位的なプログラムに至るまで、創作性を立証する責任を負うものである。

そうすると本件オブジェクトプログラムたるドンキーコング・ジュニアのプログラムの著作権の帰属については、後述のように、任天堂と池上通信機株式会社(以下池上という)との間で争いが存するが、これにおいても、右オブジェクトプログラムないしルーティンその他のプログラムが、製作者が誰であろうとも、そもそも製作者の個性とは相いれない特殊例外の存在であるとしているのではなく、却って、互いにこれを自己の創作性の表現であると主張して争っているものであり、一件記録によっても、右争訟の目的が正当であることはこれを認めることができる。かかる事情の下においては、本件において、いわゆるプログラム構造の設計過程を明らかにすることなく、或はルーティンの如きものについて、更にそれ以下のステートメントなどにわたって構造や製作過程を一々明らかにしなくても、右オブジェクトプログラムはもとより、ルーティンその他のプログラムについても、それが前述の意味における著作物に該当するものであること自体は、既にその証明が存するものと解するのが相当である。

なお前掲鑑定人出原栄一の鑑定書には、一般に、テレビゲーム・ドンキーコング・ジュニアの如き視聴覚コンピュータゲームのプログラムを製作するプロセスは、凡そ昭和五五年以降、技術的にほぼ完成し、公知の知識となっており、大抵の映像の動画は、映像の全体的な動きをいくつかの要素画に分解し、これらの要素画を適当に組み合わせて映像の動きを表現するという方式がとられ、従ってこのためのプログラミングの工程は既に大方ルーティンワーク化してしまっていたことの指摘が存する。しかし乍ら、如何にテレビゲーム用のプログラミングの過程がルーティンワーク化したとはいっても、ルーティンやサブルーティンなど別に編成されている一連の命令集合あるいは複数の操作からなる命令の処理過程そのものには、製作者の個性によって選択できるプロセスが存することはいうまでもなく、また例えば元の色指定を適宜変更したり、キャラクターの倍率をサブルーティンの中で画面のパターン毎に調整して個性化するなど、いわゆるルーティンワークの中で製作者の個性を表現する手段が存するのである。それ故、右の指摘も本件オブジェクトプログラムの製作が製作者の創造性を認める余地のないほどの定型的なプログラム作成手順であるとの疑いを抱かしめるものとはいえない。

二  ドンキーコング・ジュニアのソフトウエア・プログラムの著作権の帰属について

(一)  ドンキーコングのソフトウエア・プログラムとドンキーコング・ジュニアのソフトウエア・プログラムとの関係

被告人らはドンキーコング・ジュニアの著作権は告訴人である任天堂ではなく、池上に帰属する旨主張するので、以下検討を加える。

被告人らがドンキーコング・ジュニアの著作権が池上に帰属する旨主張する根拠は、ドンキーコング・ジュニアのプログラムは、ドンキーコングを原型とし、その続編として制作されたものであるが、ドンキーコングのソフトウエア・プログラムは池上が開発したものであって、その著作権は池上に帰属する。そして任天堂はドンキーコングのプログラムに対し無断改変を加え、その複製としてドンキーコング・ジュニアを制作したが、仮にこれが翻案に当たるとしても、二次的著作物の程度には至らないものであるから、ドンキーコング・ジュニアの著作権は池上に帰属するというのである。

(二)  ドンキーコングのソフトウエア・プログラムの著作権の帰属について

而してドンキーコングのプログラムの著作権が、任天堂と池上のいずれに帰属するかは、現在民事訴訟手続において審判中のところであるが(東京地方裁判所昭和五八年(ワ)第六六〇五号・同第七五三〇号事件)、これを本件についてみるに、次の事実を認めることができる。即ち右民事訴訟手続における各当事者の提出にかかる準備書面写し(〈証拠〉)によると、先ず池上が右民事訴訟手続きにおいて自己に著作権が帰属する旨特定して主張しているドンキーコングのプログラムは、ドンキーコングのソフトウエア・プログラムの全体ではなく、受像画面に出るキャラクターの動きを制御しつつゲームの展開を処理するcpu制御プログラムであって、いわゆるワークグラフェリア、パラメーターエリア、オブジェクトエリア及びI/C制御エリアに関するものであり、その余のキャラクター・ロム内のデータ部分はこれを含まないというのである。そしてこれは右のうち前者はプログラムの著作物として権利性が確立されてきたものであるが、後者はデータの著作物として編集著作物に当たり、著作物性を異にするので、これを請求の対象から除外するというのである。いわゆるデータベースについては昭和六一年改正にかかる現行著作権法二条一〇号の三により、編集著作物としてではなく、別個に著作物として保護されることが確認されているが、その法律的性格付けの点は別としても、一般にソフトウエアのなかでキャラクター・データにプログラムとは異なった物的ないし観念的存在性を付与すべきとすることは正当である。しかし、テレビゲームにあっては、データ部分も記憶装置に固定されて、プログラムがその処理に用いる特定有限の資源であり、テレビゲームという映像を目的とした存在にあって、それを捨象して、制御用プログラムのみでは特定の映像を形成することができないと考えられるものであるところから、特に当該データ部分の著作権の帰属につき争いがある場合は格別としても、そうでない場合においては、テレビゲームのソフトウエア・プログラムの帰属を論じるについて殊更にデータ部分とプログラムとの区別にとらわれる必要性はないといわなければならない。池上も右のうちのデータ部分の著作権が例えば任天堂にあって、自己に帰属しないといっているのではないのであるから、民事訴訟における弁論主義の適用のない本件においては、ドンキーコングのプログラムの著作権の帰属について、その範囲に関する池上の右主張にはとらわれることなく検討するのが相当である。

そこで〈証拠〉によると、ドンキーコングの開発は、池上が作成し、任天堂が買い付けたもののヒット商品とならなかったテレビゲーム・レーダースコープの在庫基板一掃の一つの手段として計画されたものであって、昭和五六年四月一日、池上と任天堂との間に開発委託契約が締結され、右契約に関連して金一〇〇〇万円が任天堂から池上に支払われたこと、その後の開発の経過について、池上と任天堂とは、共に、キャラクター、ストーリー並びに背景の概念から運動の詳細に至るまで、自己特有のアイディアを出して映像の内容を自ら具体化した旨互いに主張しているものであること、ドンキーコングのプログラムの制作に関しては原画が作成されたこと、この原画に関して、池上はその写しであるというものを池上作成の第四準備書面に添付しているが、これによると、キャラクターデザインなどはドットに構成されておらず、一見して恰もジェネラルフローチャートの域にあるものと思われるのに対し、任天堂は同社従業員宮本茂が同人独自の考案にかかる方眼紙上にドット形式の原画を描いて池上に手渡したと主張し、移動物体の静止形態については一六×一六ドット、但しこれで表示できないものについては複数ユニットの組み合わせによって表示し、移動しない個体物体の静止形態は八×八ドットで構成した、色については宮本が色パターン表と色指定表とを池上に交付したが、原画はそのままディテールフローチャートに当たるものであって、右原画類によってドンキーコングの画面が構成されている旨主張しているものであること、原画の作成以後のプログラミングについて、池上は同月一五日から三〇日にかけてジェネラルフローチャートを作成し、同年五月一日から二二日にかけてディテールフローチャートを作成し、同月二五日から同年六月五日にかけてこれをコーディングし、フロッピーに打ち込んだ旨主張しているのに対して、任天堂は右原画が正確にコーディングされているかについて絶えず観察して、意見を述べたと主張していることを認めることができる。

ところで本件ロムに収納された著作物が映画の著作物とプログラムの著作物の二つに分かたれることは既に論じたところであるが、一つのテレビゲームに関するこれらの著作物の著作過程において、更にこれらとは独立した絵画の著作物が原画について存在し得るといわなければならない。原画はテレビゲームの著作行為にあって、その究極的目的物ではないが、著作物を創作する行為は法律行為ではないから、著作物性の判断に当たってこのような主観的目的に配慮しなければならないものではなく、他の著作過程で生じたものであっても、それに知的創作たるの個性的特徴が認められるものについてはこれを別個の著作物とすることができる。しかし原画の著作権がプログラミングを担当した者に帰属することが認められる場合であれば格別、本件のように、その点に争いが存する場合においては、原画の著作権の帰属自体は、直ちにプログラムの著作権の所在を決定する事情となるものではなく、これについては更に検討を加えなければならない。

池上は任天堂がドンキーコングについて原画の作成以後のプログラム製作過程に係わらなかった旨主張し、任天堂もこれを争っておらず、宮本茂の右調書によってもこの事実を認めることができるので、次に右の原画とプログラムとの関係について考察を進めるが、この際の問題点は、右の原画(任天堂が自己の作成にかかるものと主張している原画)が既にソースコードと一対一に対応するディテールフローチャートにまで達する存在であって、プログラム製作の過程で別になんらかの創作的作業の介入が認められないものであったかどうかにある。これについて任天堂が、同社の作成にかかる原画はそのまま機械的にプログラムに変換することができるディテールフローチャートであった旨主張していることは既に述べたところであるが、前掲各準備書面写しのうち、任天堂作成の第三準備書面によると、任天堂自身、右の原画とドンキーコングの映像との間には凡そ三八箇所におよぶ不一致が存することを指摘していることを認めることができる。そして右の不一致箇所をみるに、その多くはキャラクターのポーズや動き、背景の配置や色であって、これによると、右の原画は、仮に任天堂のいうようにディテールフローチャートの観を呈するものであったとしても、実際にはディテールフローチャートとして使用されなかったといわざるをえない。而して右の不一致を指摘した任天堂の意図は、かかる不一致箇所が全て任天堂のイニシアティブによって改良されたという事実をいわんとするにあるが、右の原画の存在とともに、池上の争うところであり、これらの点は本件について、そのいずれとも認定することができない。即ち〈証拠〉には概ね任天堂の右主張に沿う供述が存するが、第九回公判調書中の証人岡昌也(池上の従業員)の供述部分には、ディテールフローチャートが全て池上において作成された旨の供述があり、その他、本件ディテールフローチャートの作成の経過を確定するに足る証拠はなく、これによると、任天堂の作成したという原画がそのまま機械的にプログラムに変換されたという事実については、尚疑問を払拭し得ないものがあると解すべきである。結局、任天堂が本件プログラムの著作権をその制作によって原始的に取得したと解するには、十分の疑問が存する。鑑定人出原栄一作成の鑑定書によると、テレビゲーム作成の過程は前認定のように、ドンキーコング作成当時既にルーティンワーク化していたことが認められるが、これによってテレビゲームの作成が定型的手順によって、より簡易化したとはいっても、尚プログラム製作者の創作性を排除するものでないことは、先に述べたところである。

次に任天堂が本件プログラムの著作権を池上との間の前記開発委託契約によって取得したかどうかが問われなければならず、前掲各準備書面写しによると、右民事訴訟において、任天堂はこの契約に基づき、その履行として金一〇〇〇万円を池上に支払ったことによって、右著作権を取得した旨の主張をしていることが認められるけれども、右契約の性質についてはこれを確定しうる証拠がない。

〈証拠〉によると、右委託契約は同調書謄本添付の「テレビゲームに関する開発委託契約書」記載の契約によるものであること、池上と任天堂との間にはこれに先行していくつかのテレビゲームの開発委託契約が締結され、履行されていることが認められるが、先ず右契約書記載の契約は直接本件プログラムの著作権の帰属について約定したものではないと解せられ、次に一件記録によるも、先行契約のうちに当該プログラムの各著作権の帰属を明らかとなし得るものは存在せず、各々プログラムの著作権の帰属の点はとくに明らかにすることがないまま取り引きがなされてきたものと解する余地が存する。又任天堂から池上に対し交付された前記の金一〇〇〇万円も、本件においてその性質を明らかにすることはできない。永沼勝他一名作成の鑑定書によると、ドンキーコング開発当時におけるテレビゲームの開発委託手数料としてはこの金額が相当額であることが認められるが、それ以上にこれを、例えば池上と任天堂との間の製造物供給契約上の対価やプログラムの著作権の譲渡の対価などとして、任天堂への著作権の移転の原因として性格付けるに足る証拠はなく、結局、任天堂が本件プログラムの著作権を池上から契約上取得したとする点については、尚これに疑いを入れる余地が十分にあるといわなければならない。又前掲各証拠によると、ドンキーコングのプログラムには「C NINTENDO 1981」という文字パターンと「CONGRATURATION! IF YOU ANALYSE DIFFICULT THIS PROGRAM WE WOULD TEACH YOU.***TEL.TOKYO-JAPAN 044(244)2151 EXTENTION 304 SYSTEM DESIGN IKEGAMI CO.LIM」という隠し文字が挿入されていて、いずれも池上によって作成されたものであるが、任天堂は前者を、池上は後者を、各々自己に右プログラムの著作権が帰属することの徴表である旨主張していることが認められるが、これらによって右著作権の帰属を決定することはできないと解する。仮に任天堂のいうように、前者がアメリカ合衆国における著作権行使のための表示であるとしても同様である。因に、証人川口孝司の前掲供述によると、池上は任天堂に対し、ドンキーコングのプログラムに関してマスターロムはこれを引き渡したが、ソースコードやフローチャートなどの引き渡しをしていないことが認められる。一般にプログラムのヴァージョンアップや保守作業のためにはソースコードを必要とするものであって、任天堂がその引き渡しを受けていないことは、如何にテレビゲームの市場における寿命が短いものとしても、池上との契約が基板の制作供給を主たる目的とするものであったとの印象を与えるであろう。後述のように、ドンキーコング・ジュニアの開発に当たり、任天堂はドンキーコングのプログラムを逆アセンブルせざるをえなかったのであるが、これは右推定を裏付ける事実と解せられる。しかしこれによっては未だ著作権の帰属を決定する要件とすることはできない。

以上を要するに、ドンキーコングのソフトウエア・プログラムの著作権が任天堂にあるとすることについては、本件において、その証明がなく、これが池上にあると疑うに足る合理的な理由が存するといわなければならない。

(三)  ドンキーコング・ジュニアのソフトウエア・プログラムの著作権の帰属について

〈証拠〉によると、テレビゲーム・ドンキーコング・ジュニアはテレビゲーム・ドンキーコングが市場で高い売れ行きを示したところから、任天堂においてその続編に当たるテレビゲームを開発販売せんとして、専ら任天堂において、池上の承諾を得ることなく、岩崎技研工業株式会社に依頼してドンキーコングのソフトウエア・プログラムに改変を加えて作成したものであって、先ずドンキーコングのロムからそのオブジェクト・コードをコンピュータによって読み出し、このオブジェクト・コードを逆アセンブルしてソースコードの形となし、ドンキーコングに用いたハードウエアの回路を解析したうえで、それに沿って原画を作成し、プログラミングしたが、メインルーティンはドンキーコングのものをそのまま流用したものであることを認めることができる。前掲準備書面写し、殊に池上作成にかかる第一四準備書面写しによると、前記民事訴訟において、池上は任天堂がドンキーコングのプログラムを逆アセンブルし、これによってドンキーコング・ジュニアのプログラムを制作したとき、任天堂はドンキーコングの制御プログラムの全体的構成と必要ルーティンをそのまま残し、部分的にパッチを行い、これによってプログラムの全体的な構成をそのままとして一部修正を加えたに止まるのであって、流用率はバイト数にして六六・三パーセントに及ぶ旨主張しているが、右主張のように任天堂が元のプログラムを六六・三パーセントにもわたって複製したのであるのか、全体として翻案に及ぶというべきであるのか、或は元のプログラムのアイディアを借用したのであるのかは、各ソースコードについて検按することができない本件において、これを確定することができないものである。それでも右認定の事実によれば、尚ドンキーコング・ジュニアのプログラムは任天堂においてドンキーコングのプログラムの創作性を侵害したものであるとの疑いを拭い得ないものと解するのが相当である。

そうすると、ドンキーコング・ジュニアのプログラムの著作権が、池上に存するかどうかは別として、公訴事実にいう通り任天堂に帰属するとの事実については証明がないといわざるをえない。

三  ドンキーコング・ジュニアの映画の著作権の帰属について

これは具体的には、ドンキーコング・ジュニアが映画の著作物として、ドンキーコングのそれに対し、二次的著作物としての保護を受け得るものであるかどうかを検討することとなる。先ず〈証拠〉によると、ドンキーコングは、大要、別紙(二)のような視覚的部分とこれに付随する効果音を伴う視覚的部分とにより構成されたものであって、これも又既に認定したドンキーコング・ジュニアと同様に、視聴覚の著作物(映画の著作物)と解すべきものである。

そこで、更に両ゲームについて、各ゲームに登場するキャラクターの概念の同一性、その概念を視覚的に表現した映像の類似性、両ゲームが展開される場面の映像及び各場面に登場するキャラクターの映像とその運動の仕方などを中心に、両ゲームの思想的、感情的表現性等が検討されなければならない。そうするとドンキーコング・ジュニアは前述のように、それ以前に作成されたドンキーコングの続編として作成されたものであって、この連続性はキャラクター名において既に表示されているところである。即ちドンキーコング・ジュニアのドンキーコングという名称は、ドンキーコングの子供であることを明示するため、ドンキーコングという同一の言語表現を一部で用いており、そのため両者の間の言語的な類似性は否定できないものがあるうえ、内容的にみても、ドンキーコングにおいて「ドンキーコング」という名のゴリラに捕えられているレディを奪い返しに行く一人の男性と、「ドンキーコング・ジュニア」において、逆に囚われの身となっているゴリラを奪い返そうとするその子供のゴリラ「ドンキーコング・ジュニア」との間には概念上の同一性が存すると考えられる。

而して、右のうち先ず題号の点は、前認定のように、ドンキーコング・ジュニアは任天堂において池上の承認を得ることなく、ドンキーコングに改変を加えて作成したものであるから、ドンキーコングの著作権の帰属如何によっては、本件訴因を別として、これについての池上の著作者人格権を侵害したとの謗りを免れないところであろう。そうではあるが、ドンキーコングという名称が有名なドンキーホーテとキングコングをすぐに想起させ、これらを連結したドンキーコングの語が「頓馬なゴリラ」とでもいうべき概念を言語的に巧みに表現して、テレビゲーム・ドンキーコングのイメージを極めて象徴的に表現することができたものであるとはいっても、なおこれ自体に著作物性を認めることはできないものである。そして、ドンキーコングにおける前述した一人の男性とドンキーコング・ジュニアにおける子ゴリラとの間の概念上の同一性の点も、これは両ゲームの間の右のような筋書の関連性がもたらす自然の成り行きというべきものであって、このこと自体が、必ずしも、後発のゲームであるドンキーコング・ジュニアの創造性を直ちに害するものということはできず、ドンキーコング・ジュニアの語が指し示す子ゴリラという概念を視覚的に表現した子ゴリラの映像を含む総体的な視覚表現の創造性が更に問われなければならない。

そうすると、先ずこのような子ゴリラという概念を視覚的に表現した子ゴリラの映像はドンキーコング・ジュニアのゲームの中にのみ現れる独特のものであるから、これにより創造的な視覚表現と解することができるものである。更に両テレビゲームが展開される場面についていうと、ドンキーコングが建物の建設工事現場を主たる場面としているのに対して、ドンキーコング・ジュニアの方は、主としてジャングルまたは密林のような場面で展開されているので、両者は観念的にも映像的にも全くこれを別個のものということができる。但し両ゲームに登場する「ドンキーコング」と称する親ゴリラと一人の男性に関して概念の同一性とその概念を視覚的に表現した映像の類似性が認められるといわなければならないが、それにも拘らず、両ゲームが展開される場面の映像、そこに登場するキャラクターの映像とその運動の仕方などは、なお観念的にも映像的にも互いに異なっているので、両ゲームの間には全体として同一性が認められず、これを要するに、ドンキーコングとドンキーコング・ジュニアとは、映画の著作物としては、別個独立のものであり、後者は前者に比して個性的な創作性を有すると解すべきである。

これについては更に補充的な考察を必要とする。即ち右鑑定人の鑑定書には、テレビゲームの如き視聴覚コンピューターゲームの著作物について、或るものに対する他のものの創作性を論じる場合には、その映像はいずれもプログラムによってもたらされるものであるから、絶えずプログラムの同一性について配慮しなければならないという視点が示されている。しかし乍ら、テレビゲームのような視聴覚コンピューターゲームにおいて映像とその基となるプログラムとは種類の異なる著作物であって、映像を比較するのにプログラムにも配慮することは一見合理性がないと考えられる。それでも、テレビゲーム用プログラムにおいては、汎用コンピュータ用プログラムの場合とは異なり、プログラムは絵画の著作物としての取り扱いに服するところの原画によって規制されるところが極めて大きく、映像はまたプログラムによってのみもたらされるものであるため、映像の比較においてもこれら三つの著作物の関係が考慮さるべきものとなろう。ここから、或る映像を他の映像と比較してこれに創作性を認めることができる場合であっても、プログラムを介して、その原画との比較においてみると、これを否定しなければならない場合があり得ることはこれを認めなければならない。しかし乍ら、テレビゲームのような視聴覚コンピューターゲームであっても、比較さるべき二つの映像が明らかに共通の原画に依拠しないものである場合には、右のような関係において、原画との関連性を考慮することなく、ただそのアウトプットのみによって、両者の関係を把握することが許される。この場合考慮さるべきものが共通の原画であって、右の鑑定人の指摘するところのプログラムでない理由は、やはりアウトプットとプログラムとの間に著作物としての表現形態の類似性が認められない点に存するのであって、仮にプログラム制作の技術上、コーディングないし交換の際になんらの創作的な行為が介在することがないものであっても同様に解すべきである。但しここに共通の原画というものは、単に二つの映像を比較検討するために用いれる機能概念であるにすぎず、そのもの自体の著作物性が問題とされているものではないから、必ずしも具体的な表現には至らないアイディアの如きものまでを包含すると解すべきであろう。即ち、或る映像が他の映像の依拠した原画そのものではなく、例えばその原画が他人の占有するところであって直接これを検按することができないとして、その原画の内容ないしはアイディアに依拠することによって作成された他の原画に従ってコーディングされたものである場合には、これをなお共通の原画によって制作されたものということができる。本件についてこれをみると、ドンキーコング及びドンキーコング・ジュニアの原画はいずれも証拠として取り調べられていないが、前者については、前認定のように、池上作成の第四準備書面に、後者については任天堂作成の第八準備書面に、いずれもその各写しであるというものが添付されているからこれによって検討すると、その各キャラクターやそれらの背景となる場所や動きのパターンなどが、イメージを含めて、相互に明白に異なると解せられるところであるから、これによると、この両ゲームには右にいう共通の原画と目すべきものは存在しないと解するのが相当であり、結局、その映画の著作物としての創作性を両ゲームの映像のみによって判断することは、本件につき何ら差し支えないところである。

結局、ドンキーコング・ジュニアの映画の著作権は、任天堂がその創作によって原始的に取得したものとして、任天堂に帰属することが認められる。

第五 本件告訴について

一  本件告訴の客観的範囲

任天堂の本件告訴はテレビゲーム機ドンキーコング・ジュニアのロムに収納されている著作権の侵害を対象とするものであり、侵害行為の態様は被告人らがそのソフトウエア・プログラムを無断複製(デッド・コピー)したというにある。前述のように、右ロムに収納されている著作権はこれを二つに分かって、プログラムの著作権と映画の著作権とすべきものであるところ、侵害行為は単一であるから、右は一個の行為にして二つの罪名に触れる場合に当たると解せられる。その場合であっても、任天堂の本件告訴の効力は、告訴不可分の原則の例外として、任天堂をもってその被害者であると特定することのできない右プログラムの著作権の侵害の事実には及ばないと解すべきである。

二  本件告訴の効力〈省略〉

(法令の適用)

被告人甲の判示第一の所為並びに同乙及び同丙の判示第二の所為はいずれも、包括して、昭和六〇年法律第六二号附則五項により同法による改正前の著作権法一一九条、刑法六〇条に該当し、被告人甲の右所為は同被告人が被告人有限会社Dの代表者としてその業務に関し犯したものであり、同乙の右所為は同被告人が被告人株式会社Fの、同丙の右所為は同被告人が被告人株式会社Kの各代表者としてその各業務に関し犯したものであるから、右各被告人会社については、いずれも右改正前の著作権法一二四条一項により、同法一一九条所定の罰金刑を科することとし、被告人甲、同乙及び同丙についてはいずれも所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期等の範囲内で、被告人有限会社D及び同株式会社Fをいずれも罰金三〇万円に、同株式会社Kを罰金二〇万円に、被告人甲及び同丙をいずれも懲役三月に、同乙を懲役四月に処し、情状により、刑法二五条一項一号により、この裁判確定の日より、被告人甲及び同丙については各一年間、同乙については二年間、右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書により、これを被告人らに負担させない。

(情状)

一  被告人甲について

既に第一項で述べたごとく、同被告人はドンキーコング・ジュニアのコピー基板の複製行為に着手する以前から、死亡した丁が同様なテレビゲーム機のコピー物を無断作成して販売していることを知りつつ、同人の依頼を受けてこれを補佐してきたものであり、本件の犯行も計画的且つ大規模なものであるといわなければならない。ただ右犯行は、これも同項で指摘したように、丁を主犯とするものであって、被告人甲は丁から求められるままに、従たる役割を演じたものと解する。同被告人が被告人有限会社Dの代表者に就職したのも丁の要請によるものであった。而して被告人有限会社Dは本件後程なくして倒産し、いまでは実質的に存在しないのに等しく、同甲もこの業界から離脱して平均的市民の生活に復していること、前科がないこと、本件の審判が予想以上の長期にわたることを余儀なくされたのは、被告人とは直接の係わり合いのない任天堂と池上との間の民事上の紛争の影響を受けたものであって、その間同甲の法的地位に生じた不安定には本件量刑上配慮すべきものがあること、侵害された著作権が結果的に映画の著作権のみであって、プログラムの著作権については著作権者を明らかにすることができなかったこと、その他の事情を右の刑の理由とした。

二  被告人乙及び同丙について

右両被告人の共同関係は、刑事法的には、第三項に認定したとおりであるが、経済的ないし本件犯行に至った実質的側面では、両者の間において、被告人株式会社Fを介して同乙が同丙ないし同株式会社Kに対してなした強力な管理支配が特徴的である。これによって、後二者は前者の一部門とその名目上の代表者の地位にあったということができる。ドンキーコング・ジュニアに先立つ幾つかのテレビゲームのコピー基板の無断製造、販売についても被告人乙と同丙とは共同してきたが、次第に同乙の経済的優越が意識されるようになり、両者の間に不協和音が生じていたものであるところ、本件は同乙がそのような状態を意に介することなく、ヒット商品のコピーと販売を強行し、同丙がこれに追随したものである。そうではあるが、両被告人とも反省の念を明らかにしており、同乙は現在でも当時と同じゲーム機業界に留まっているが、陳謝文を業界紙に掲載するなどして、改悛の情を認めることができる。その他、被告人甲について述べたように、本件審判が長期化したこと、映画の著作権の侵害は明らかであるが、プログラムの著作権の侵害については著作権者の証明が存しないことなどが、右の各量刑の主たる事情である。

(裁判官 橋本喜一)

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